2011世界難民の日・関西集会
関西外国語大学 新垣 修 教授による基調講演
「難民条約のこれまでとこれから ―市民社会とNGOの役割―」の要点筆記
(国際関係学の言説における非国家主体)
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国際社会でのNGOの役割
基調講演の新垣 修先生 |
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- 伝統的な国際政治学や国際法学では、その主体は国家であって、理論上、非国家主体である市民社会やNGOは重視されてこなかった。
- 今年は、難民条約採択60周年、日本の加入30周年になるが、難民問題の文脈では、市民社会やNGOは現実に難民支援に関与しており、様々なアクターとともにグローバルに影響を与える存在となっている。
国際政治学のリアリズムでは、国際関係の理論から非国家主体が排除されてきた。対照的に、リベラリズムの相互依存論などは、脱国家的関係の営みでの非国家主体の役割を認めている。国際法学においても、法を制定・解釈・実施するのは国家であるとされ、市民社会やNGOの存在や活動現象を適切に表現するボキャブラリーは不在だった。
しかし近年、法を単なる「ルールの集合体」ではなく一連の「プロセス」と見ることにより、国際法の制定や実施に関わるアクターを、「参加者」と捉える考え方も提唱されるようになった。
国際関係を扱う学術界は、かつて非国家主体を理論上排除してきことにより、今、現実とのギャップに戸惑っている。そして、相互依存論や最近の国際法の学術的取り組みは、現実と理論の格差を埋めようとする知的挑戦のように思える。
(難民条約の史的系譜)
- 現在の国際的難民保護制度は、第一次大戦が終わった頃の欧州にその起源を有する。当時、飢饉や武力介入があり、また工業化によって地域で経済的社会的格差が広がったため、これらが人間の移動の原因となった。
しかし決定的だったのは、帝国が崩壊し、国民国家の形成が顕著となった事である。同一の人種や言語で構成される国家では、異質の者は排除され、その多くが無国籍者や難民となった。国籍のない彼らを国外に追い出すと、国家間で緊張が生まれ、安全保障上の課題ともなった。当時の関連の国際協定は、安全保障の課題を出入国管理行政面から調整する働きも果たしたと言えよう。
- 第二次大戦後、ユダヤ人の迫害を契機に、保護されるべき人々の要件が付加され、難民と無国籍者が国際法上区分されることとなった。そして冷戦時、難民保護は、人道主義というより自由主義的イデオロギーの正統性を補強する表象となり、難民は西側にとって政治的に価値あるものと見られた。
- しかし、1970年代以降の「第三世界」からの難民の流入、さらに冷戦終結とともに、先進国では難民を受入れるインセンティブは後退した。さらに9.11以後、難民・移民はテロリズムに関連づけられ、国家安全保障対策の射程に入った。つまり、所謂「セキュリタイゼーション」(securitization)の文脈で、難民・移民が共同体の文化的価値を脅かす存在と見られるようになったのである。難民保護や庇護の必要性がなくなったのではないが、その政治的含意はかつてとは異なっている。
(日本の状況)
- さて、日本の難民認定についてであるが、1980年代から1990年代後半まで、行政と司法の判断はほぼ完全に一致していた。
しかし、2000年代に入る頃になると両者間に不協和音が生じ出した。その背景には、日本のNGO職員・弁護士たちが海外の事例や学説を証拠として司法の場で提示し、裁判所を「説得」してきたことによる。
UNHCRも、締約国を監督する機能を通じ、この「説得」に貢献してきた。そして、市民社会の活動が公的領域を超えるようになった背後に、グローバリゼイションの進展があるのは疑いないだろう。
(難民条約を越えて)
- このように、市民社会やNGOが難民条約の履行に参加し、難民保護で大きな役割を果たしている。しかし、まさにそこに懸念材料がある。誰かを選別して保護する行為は、誰かを保護から排除する行為を宿命的に背負っているからである。
市民社会やNGOがこれにアクターとして参加することは、条約上保護される難民以外の者たちを国際的保護から排除するプロセスに関与することに他ならない。貧困や環境問題などが原因で生きる場を追われた人々は、国際的保護から外される。
市民社会やNGOは、この排除を正当化し加担する存在になるのではないか。我々は、このことを自らに不断に問いかけなければならない。「難民」という名さえ与えられない者、苦しみの中にある人々の中でも最も苦しんでいる者に寄り添うこと―市民社会やNGOの真価はそこにあるのだと、私は思う。
(文責:アムネスティ日本・大阪難民チーム 中村 彰)
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