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● 資料:私たちが出会った難民

70年代後半のベトナム戦争のあと、難民条約に批准する前に「難民に準ずる」という枠組みで受け入れたインドシナ難民は約1万人ほどが全国各地に住んでいます。
まさに「彼ら」から日本の難民問題は始まりました。
そして、2001~02年アメリカによるアフガン攻撃のさなか、それ以前より日本に庇護を求めているアフガニスタン難民などの入管での出会いによって、私たちの難民問題は始まりました。
地図に示した以外にネパールやブータンなど中央アジアの諸国からの難民もいますが、私たちはまだあまり支援できていません。

地図をご覧になってお分かりのように、命からがら逃げて来て、庇護を求める人はアジア・アフリカからの人たちに集中しています。
中東、アフリカなど遠いところからどうして日本のような国に庇護を求めるのでしょうか。
理由は様々あるとおもいますが、「命が狙われない」「安全な国」というイメージでしょうか。
しかし、日本政府はインドシナ難民をはじめ、認定した難民に対して、日本語教育や就労支援などの生活支援策を十分に講じておらず、生活に困窮する難民も多いのです。日本は真の人権国家だといえるでしょうか。
そんな中で日本政府は、2010年度からビルマ難民を第三国定住を27人受け入れました。彼らは今、日本語教育等を受けた後、千葉と三重でひっそりと暮らしています。今年度も30人前後の受け入れの準備が始まっています。

 ※ 図中の番号をクリックすると、下の説明にジャンプします。

私たちが出会った難民 迫害から逃れて日本へ… 出身国地図 図中の番号をクリックすると説明文にジャンプします

図中の1 アフリカからの難民
国情不安、民族の対立、国による民族の浄化、貧困などにより成立する武装集団、または国軍などから逃れてきた人たちが多い。
11年1月から北アフリカで起こった民主化のデモの波は、中東アジアのほうに広がり、日本での難民申請者が多い中部アフリカには波及していない。政府から弾圧を受け続けているリビアの人々やリビアにいた外国人の多くはまだ日本まで庇護を求めてきていない。
コンゴやウガンダでは、ダイヤモンドや貴重な金属資源が豊富にあることから、アメリカや英国などの先進国がウガンダやコンゴ民主共和国の軍政を支持し、90年ごろから紛争が続き、重大な人権侵害が行なわれている。
ナイジェリアでは大統領自身を含め、ほとんどが軍出身者で国を支配している。
これらの国々の難民申請者はほとんどが仮放免状態である。
日本のマスコミは、北アフリカの情勢や、貧困や大量難民などの目に見える情報しか流していない。
アフリカ諸国では、自分の信条と相反する行為を目撃したり、耐えきれずに逃れた人たちで、自分の立場を表明できない人が多いようだ。日本で難民認定されている人は少ない。
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図中の2 クルド難民
第一次世界大戦後、トルコ、イラク、イラン、シリア、旧ソ連などに分断支配されてきた。「国家を持たない世界最大の民族」とも言われる。80年代から自治や独立を求める活動が活発になったが、各国の厳しい弾圧や、政治的な駆け引きに翻弄され続けてきた。
トルコでは長年に渡り、民族の存在すら否定されてきた。また、イラクでのクルド人地位向上を嫌い、イラクに越境し、クルド人組織の掃討作戦を行っている。
イランでは、イラン=イスラム革命以降、「反革命勢力」と規定されたクルド人組織を攻撃するため、クルド人組織の指導者が暗殺され、多くの民衆が弾圧されてきた。
日本には、主に、トルコやイランから庇護を求めて来ている。特にトルコ国籍の難民申請件数は800件を超えているが、未だにひとりも難民認定されていない。
関西ではクルド難民のコミュニティがないため、名古屋や関東に集中している。関東では日本での生活が10年を超え、家族を抱え、地域社会で着実に生活基盤を築いてきている。地元住民との交流も盛んであるようだ。一日も早く、安定した生活が送れるように、在留資格を求めている。
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図中の3 イラン難民
9年に勃発したイラン=イスラム革命以降、88年まで続いたイラン・イラク戦争の影響と、イランとの間に査証免除協定を結んでいた(92年に停止)関係で3万人を超えるイラン人が来日した。その中には、来日前後にキリスト教に改宗した人や、反イスラム体制の言論活動を行った人々、同性愛者など、イラン=イスラム体制に相反する立場にある人々も含まれていた。
難民認定制度の存在自体を知らない人が多く、イラン大使館に発覚するのを恐れて、難民申請をしない人もいて、対応が難しい。
もともと滞日するイラン人の人数が多いこともあり、入管からは迅速な退去強制を迫られ、4年に及ぶ長期収容や国費による強制送還も相次いだりし、まさに日本の非人道的難民政策の生き証人といえる人々が数多い。
強制送還後、不認定であっても難民申請した形跡を咎められ、投獄されたり、行方不明になっていたりすることが、オーストラリアやカナダから報告がなされている(2009年)。
来日してから20年近く経つ人々も少なくない。一日も早い救済措置が望まれる。
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図中の4 アフガニスタン難民
タリバン政権支配拡大により、90年代後半から日本に難民申請者が相次ぐ。01年9・11事件後のアメリカによるアフガン攻撃後、入管がアフガン人を収容したことから、外国人支援団体の多くが難民問題及び入管問題に気付かされた。
アメリカは4月、タリバンが隠したとされる9・11首謀者とされる「アルカイダ」のビンラディン容疑者を殺害し、今年の夏中の撤退をようやく決めているが、タリバンが復活していることや、貧富の差が激しく女性への差別もまだ厳しいという現実があり、帰還は容易ではない。
現在、難民認定された人もいるが、多くは在留特別許可を得ているが、10年近くなってもなお仮放免状態のままである人もいる。
UNHCR日本事務所は、再三アフガン難民に人道的な見地から在留特別許可を付与すべきであると勧告しているが、法務省は一貫してこれを無視し、日本人と結婚した者に対して「人道的配慮にもとづく在留特別許可」を付与するにとどまっている。
日本政府がいかに国連を軽視しているかを示す好例である。
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図中の5 パキスタン難民
90年代の10年間の文民政府の期間を除き、軍政が敷かれてきたビルマとならぶ軍政国であった。ムシャラフ大統領の周到な軍事クーデタにより政権を掌握。9・11のテロを利用し、米国の支持を取りつけ、約10年にわたり独裁を敷いてきた。07年秋の大統領選で多数票を獲得したが、軍籍のままの再選は違法として起訴が続いたり、政治基盤継続のため、裁判官の罷免など言論等の自由を封殺したりした。しかし、08年秋にムシャラフ大統領の弾劾裁判開始を各州議会が支持、ムシャラフ氏は大統領を辞任。
軍事政権はとかれた形になっているが、国内難民が数万人出ているなど、政府は今なお不安定なままである。
日本において、難民申請者数は数年前までビルマやクルド難民に次いで2位、3位を占めていたことがある。が、日本政府は「テロリスト掃討」を続けているパキスタンを支援している関係からか、難民認定された人はほとんどいない。
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図中の6 スリランカ難民
スリランカでは「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」などのような武装勢力が多数あるが、LTTEは02年、政府と停戦を合意したが、06年くらいから戦闘が激化。08年1月政府が停戦破棄。09年5月政府はLTTEを制圧したと発表した。が、タミル人は政府から潜在的なLTTE協力者と疑われ、恣意的な逮捕や拷問を受けている。長年の内戦により、武器がLTTEや地下犯罪組織に氾濫し、市民社会が激しく侵食されている。そのため、犯罪組織に狙われた人々は国内での避難がほぼ不可能な状態になっている。スリランカはイラクよりも治安が悪いとも言われている。
スリランカ難民は09年の難民申請者数は2位の234人。この数字はトルコ・クルド難民の申請者数を抜き、倍以上になっている。08年の数字から見ても2倍強の数字になっている。収容中、仮放免状態の人が多い。09年8月1人難民認定されているのみ。
UNHCRは、09年末見解書で、タミル人だけでなく、シンハラ、ムスリムの保護を世界に訴えているが、日本政府も参与員もこれを無視している。
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図中の7 ビルマ難民
ビルマ(ミャンマー)では1962年以来軍事政権が続いている。
88年の選挙結果を軍事政権が無視したことで、民主化運動が広まると同時に、軍政による弾圧、圧政も多くなっている。
本国で民主化運動や迫害の経験がある人も多いが、国外の民主化運動が盛んな日本に来てから活動に積極的に参加し、申請にいたる場合もある。政治活動家だけでなく、軍政下で迫害を受けるロヒンギャなどの非ビルマ民族出身者の申請も増えている。
03年には軍政によるアウンサンスーチー氏の暗殺未遂事件や、07年の民主化運動への弾圧により申請者が急増し、数少ない難民認定でもビルマ人の件数自体は増えており、在留特別許可数も多くなってきている。入管においても長期収容者はいない状態になっている。軍政は今年に総選挙を実施するが、政党登録法には逮捕され、有罪になったスー・チー氏や投獄されている政治囚を党員解除しないと政党登録できない法律を作り、事実上スー・チー氏率いる国民民主同盟(NLD)は解党せざるを得なくなった。
そのような状態の中で10年11月総選挙が行われ、選挙後にスー・チー氏が政治運動しないという条件付きで解放されるが、民主的な政治とは程遠く、選挙後も国内避難民や周辺国に難民が流出している。
日本には08年以降ビルマ難民が07年の約2倍の980人が難民申請した。が、政府は09年10月にビルマへ強制送還をしている。
また、10年秋にタイの難民キャンプにいる27人のカレン難民家族を「第三国定住」として受け入れた。

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主催:「世界難民の日」‘11 関西集会実行委員会
後援:アムネスティ・インターナショナル日本

事務局:RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)
〒569-0078 高槻市大手町6-24 FAX: 072-684-0231
e-mail: rafiqtomodati@yahoo.co.jp


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