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「大村入管被収容者を支える会」発足のお祝いメッセージ |
2008年4月12日、長崎県大村市にある大村入国管理センターに収容されている、難民申請者をはじめとする被収容者のために、「大村入管被収容者を支える会」が発足しました。
会の野崎さんより、その日の様子と一緒に、会の発足をお祝いする皆様からのメッセージご紹介させていただきます。
(敬称略)
はじめに
「大村入管被収容者を支える会」の野崎優子です。
昨年アムネスティいさはやグループ主催「入管問題を考えるシンポジウム」にて柚之原さんを講師としてお招きしたときから、大村入管に収容されている人の支える会の発足を考えておりました。
4月12日に長崎でシンポジウムを開催し、正式に支える会の発足となりました。日本UNCHRにご協力を仰ぎ、掲載してもらっております。6月20日の世界難民の日に合わせ、皆さんと連携できることを大変嬉しく思っております。
http://www.japanforunhcr.org/event/event_wrd08.html
会場には遠方から様々な団体がお見えになってくださり、嬉しかったです。東京難民支援協会・アジア女性センター・福岡の岩田さん、熊本学園大学準教授、ビルマ人支援者(福岡)在日コリアン(福岡)と、皆さまの関心の高さが伺え、熱気に溢れたシンポジウムとなりました。
また、アムネスティ・インターナショナルの寺中 誠事務局長、辛淑玉さん、趙 博さん(在日シンガー)、入管問題調査会の高橋徹さん、RAFIQさん、山村淳平さん(港町診療所)青柳行信さん(福岡ビルマ人支援者)から支える会発足にあたりお祝いのメッセージを頂きました。
皆さまからのご支援・ご協力を糧に「大村入管被収容者を支える会」の支援者を募り、入管の処遇改善や難民の権利保障に向け動いていけたらと考えております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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皆様からのメッセージ
「大村入管被収容者を支える会」発足に際して
オオムラ は、在日朝鮮人にとって地獄のような響きがあります。
いや、それは昔のことで、40代以下の人々からは「何?」という反応が返ってくるはずです。時代は、オオムラ を忘却の彼方へ追いやろうとしています。
帝国臣民から外国人へ--戦後の法的地位の変遷の裏には、 常に「強制送還」という恫喝がありました。わたしは「特別永住者」ですが、その「資格」とは、外国人登録証の切り替えの際(昔は3年ごと、今は5年ごと)にいちいち入管事務所に行って在留資格を更新しなくてイイヨ、という文言の言い換えに過ぎません。私はこの国で半世紀を生きてきましたが、その「生」は、3年、5年…の幾度に渡る積み重ねでしかありません。
まるで、リボルビング払いを延々と続ける多重債務者のような時間の過ごし方を、生まれて今日までの50年間、強要されてきたわけです。
オオムラ は、私の原点です。収容所に足を踏み入れたことがないだけで私たち「在日」の生活空間は、全てオオムラ に繋がっています。
入国する外国人全ての指紋と写真を採取して、なんら波風の立たない ニッポンおよびニッポンジン。今こそ、<怒り>を組織するべきではないでしょうか?
差別の無いおおらかな「生」を謳歌できる日を夢見て、貴会の活動に 敬意を表しつつ、大阪から連帯の挨拶を送ります。
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唄う浪速の巨人 パギやん(趙博) |
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子どもの頃、悪いことをすると「オオムラ」に送るといわれていた。
オオムラ収容所がどのようなところかを知るのに、時間はかからなかった。
多くの同胞がここから、さらなる地獄に落ちていったからだ。
日本人以外、また、日本人の特権階級とつながっていない者にとって、オオムラに収容されることが絶望そのものであり、そして、その場は、日本社会と隔離された、「処刑場」そのものであった。
彼らを支えることは、日本社会の恥部に向き合うことであり、その犯罪性をも、あばくことなのだと思う。
日本社会の再生のために、会の発足がどれほど大きな力になることか。
隔離されている人たち、隔離を知らない人たちが、やっとつながることが出来る。
闘いはこれからだ、と自分自身に声をかけた。一緒に変えていきましょう。
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TRAI(被差別日系研究所)研究員 辛淑玉 |
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「大村入管被収容者を支える会」の発足おめでとうございます。待ちに待った発足で、今後のご活躍を期待します。
入管問題調査会が、スタートしたのは、1994年のことです。そのころ入管施設内の職員によって被収容者が暴行・虐待されるという事件が三つほど明るみに出ました。それまで外国人支援者は、入管施設内のことまで思いが及ばず、関係者の多くが事件に衝撃を受けました。そのことをきっかけに「調査・研究・提言」を目標に掲げて活動を開始しました。当時の状況は「密室の人権侵害」(現代人
文社)という書籍にまとめてありますので、ぜひお読みください。
以来14年たちますが、その後難民支援者などが精力的に長期収容状態の難民申請者の面会訪問活動に取り組んでくださるようになり、現在では収容施設のウオッチングは難民支援者の手にゆだねられていて、入管問題調査会としてはもっぱら拷問禁止条約などのカウンターレポートの作成を中心に行ってきてます。
大村収容所の様子は、いままで私どももほとんどつかんでいません。4月12日はこちらでは別なスケジュールを抱えており、こちらからおうかがいすることはできないのが残念です。「大村入管被収容者を支える会」が大村収容所の実状を調査され、被収容者の思いを発信されることを心待ちにしております。
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入管問題調査会、高橋徹 |
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『壁の涙』の本の表紙にわたしは次の言葉をそえました。
「一粒の涙のしずくはほほに流れながらも、いつかきっと一輪のこころの花を咲かせるだろう」
収容されている人たちよ、今は苦しくてもいずれ自由になるときがくる。あきらめないで希望をもってほしい。そんなことを願わずにはいられませんでした。
この言葉にもうひとつの想いを話しました。被収容者の悲しみの涙が日本人の良心にとどき、日本社会をより良い方向に変えていきたいと考える人がひとりでも多くあらわれることに期待をこめて書きしるしたのです。
ここに「大村入管被収容者を支える会」が新しく設立されました。「被収容者の悲しみの涙が日本人の良心にとどいた」のです。わたしは非常にうれしく思い、また大変勇気づけられました。
皆さん、ともに「日本社会をよりよい方向に変えていき」ましょう。
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港町診療所 山村淳平 |
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大村入管被収容者を支える会の結成おめでとうございます。
私たちRAFIQ(ラフィック)は、2002年より西日本入国管理センターの被収容者に対して面会をはじめました。 はじめに面会したのは、アフガニスタンの難民申請者でした。
テレビドラマの刑務所の面会室と同じ面会室にびっくりし、ベッドも布団もない中で1年以上収容されている方がいることの衝撃を受けました。
この実態に対して何が出来るか?現在まで思考錯誤しながら活動を進めています。
この間、西日本入管の被収容者への支援者の連携と東日本入国管理センターの被収容者への支援者との連携が進んできました。
本日、大村入国管理センターの被収容者に対する支援の会が出来たことで、日本にある長期収容の3センター全部の支援者がまとまってきたことになります。
「入国管理センター」の人権について監視することは市民にとって当然のことであり日本の人権の向上につながることと思っています。
「大村入管の被収容者を支える会」の結成は、私たちにとっても今後の希望につながるうれしい知らせです。
今後のご活躍を期待し、微力ですが連携した取り組みやご協力をお約束しお祝いの言葉といたします。
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2008年4月12日
RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)
HP http://rafiq.jp/ |
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政治的、経済的な理由から故国での生活の基盤を失い、ようやくたどり着いた異国の地では、厳重な監視の下、牢獄につながれる。そんな理不尽が、この日本で、まかり通っています。
収容所というのは、人を拘禁するための施設。その収容所がこの大村にもあります。出入国管理という行政や政治の都合によって、自由を奪われ、いつまでともわからないまま身柄を拘束されている人びとがいるのです。
1989年、大村収容所にいた一人の中国人女性が、中国からの政治的理由による亡命者だと主張しました。しかし、当局は彼女の難民申請を受け付けようとせず、結局送還してしまったのです。帰国後、彼女は当局に身柄を拘束されました。政治的理由で難民申請をしようとする人でさえ、とにかく自由を奪うという理不尽が際立ったケースです。しかし、その理不尽さ自体が、ほとんど意識されないまま、日本の出入国管理行政は進められてきました。アムネスティが日本の難民認定制度の問題について本格的な調査をおこない、改善に向けて取り組むようになったのは、まさにこの大村のケースがきっかけです。
入管施設は「隠された」施設です。公式の統計などにはあまり登場しませんし、中で何が行われているかも外にはほとんど知らされません。この問題に光をあてない限り、国際化などと叫んでみても空しいだけです。現在では、難民・入管問題は、日本の人権の劣悪さを世界に知らしめる格好の材料となっています。
今、世間には「排除」の感覚が蔓延しています。しかし、排除からは希望は生まれません。苦しんでいる人びとを受け入れ、ともに生きていくことができる社会を作り出す。希望は、そこにこそあります。
日本の植民地政策の負の歴史をも担い、陰に置かれた大村収容所。その闇のページをさらに加えるのではなく、白日のもとに晒していくことが、今求められています。
ともにがんばりましょう。
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(社団法人)アムネスティ・インターナショナル日本
事務局長 寺中 誠
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この度、「大村入管被収容者を支える会」が発足することを大変に嬉しく思います。関係者の尽力に敬意を表します。
非日常の収容者生活に閉じ込められた方々の唯一の希望は面会者との出会いですね。現在、私は、大村入国管理センターに長期収容され、仮放免を受けた5人のビルマ難民申請者の福岡地方裁判所での裁判支援をしています。
彼らは、ビルマ・ロヒンギャ、カチンと呼ばれる少数民族でビルマ軍事政権による弾圧・迫害で親兄弟、妻子と故郷を離れ、日本に庇護・保護を求めてきたのに日本にいても自由を剥奪され、強制送還の発布令も出されています。
共に、“難民と一緒に暮らせる日本に!”被収容者に自由と希望を!頑張りましょう。 |
青柳行信 |
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