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● シリア難民問題 金だけ支援、入国はNO 「鎖国日本」に厳しい視線 (毎日新聞 2015年10月06日) 東京夕刊


 ◇在日の認定者「政府のサポート不十
分」「国内問題優先」首相の国際感覚ズレてない?

【写真】インドシナ難民が多く住む神奈川県営「いちょう団地」の祭りでは、ベトナム料理など多国籍の露店が並び、中国の獅子舞が出現した=横浜市で2015年10月4日午後1時、堀山明子撮影

 「積極的平和主義」を掲げている安倍晋三首相は9月未の国連総会で誤ったメッセージを発したのではないか。シリア、イラクの難民と国内避難民向けに約8・1億ドル(約969億円)を支援すると表明したのだが、難民受け入れには否定的な考えを示したことだ。その後の記者会見を巡っては、ロイターに「難民より国内問題解決が先」と報じられてしまった。国際社会から「難民鎖国」と呼ばれる日本。その問題点をかつて難民と呼ばれた人々の声を聞きながら考えた。【堀山明子】 
 安倍首相の演説と記者会見後、NPO法人「難民支援協会」(東京都新宿区)の石川えり代表理事は無念そうにこう語った。「国際社会が今までにない規模でシリア難民の受け入れで連携しているのだから、日本も資金援助だけでなく、何らかの形で受け入れを表明してほしかった」

 事務所の床には定宿が見つからない難民申請者から預かったトランクケースが山積み。木製のおもちゃもあった。日本にもシリア難民がいると知った市民から寄せられた、手作りの贈り物という。同協会は国連総会前、13の支援団体と共同で「日本も難民の受け入れを」と政府に申し入れたが、思いは届かなかった。

 同協会によると、日本に滞在しているシリア人は400人以上。そのうち63人が難民申請したが、認定されたのはわずか3人。また、47人が「人道的配慮」で一時的在留を認められる「在留特別許可」を得た。ただ、難民認定者には認められる「家族の呼び寄せ」が難しく、日本語研修などの定住支援もない。

 そんな中、法務省は、改めて「難民鎖国」を象徴するかのような動きを示した。同省入国管理局が9月に発表した難民制度の運用見直しのことで、申請者への就労許可が制度の乱用や誤った申請を誘発する一因になっているとして、再申請者の就労を制限するなど新たな施策を提示し、「偽装難民」への締め付けを強化しようとしたのだ。

 これに対し、同省の「難民認定制度に関する専門部会」の委員を務めた渡辺彰悟弁護士は憤る。「専門部会は昨年12月、難民の認定判断を明確化して手続きの透明性を向上するよう提言している。適正な認定実務を実現しないまま、再申請者に対する手続きを強化するのはおかしい」。シリア難民受け入れ枠を拡大しようとする国際的な世論にも逆行する動きだと批判する。

 戦後の日本が、どう難民を受け入れてきたのかを振り返ろう。端緒は1975年のベトナム戦争終結。戦火で混乱したインドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)から船で脱出し「ボートピープル」と呼ばれた難民1万1000人以上を受け入れた。

 日本は81年、難民条約に加盟。83年に「迫害を受ける恐れがある」と難民に立証させる日本独自の基準による認定を始めた。これに基づく昨年末までの難民申請者は2万2559人で、認定は633人。昨年は5000人が申請したが、認定は11人にとどまった。在留特別許可の110人を合わせても3%に満たない。

 この日本の独自基準は厳格過ぎるとの声は大きい。例えば、「迫害の恐れ」について、日本は個人の活動が監視されていたかを問うが、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)は集団で難民認定する場合もある。ミャンマーで迫害されてきた少数民族のロヒンギャ族で、「在日ビルマロヒンギャ協会」前会長のゾーミントゥさん(43)は嘆く。「私は民主化運動に参加したから難民と認められやすかったが、ロヒンギャの大半は学校に行けず、文字を書けない。迫害の資料を出せなんて現実離れしている」。そして安倍政権に問い掛ける。「政府は、シリア難民にも迫害の恐れを証明する資料を出せと言うのですか。それが積極的平和主義を掲げる国ですか」

 難民認定後の人々の生活の一端を知ろうと、東京・高田馬場の通称「リトル・ヤンゴン」を歩いた。駅周辺には、軍事政権下の母国から日本に逃げてきた民主化活動家や難民を含むミャンマー人約1000人が暮らしているという。
 少数民族シャン族出身で、日本国籍を取得した山田康正さん(68)は今、食堂のオーナー。仕込みの手を止めずに話す。「職や家探しで日本政府の支援がないから、難民申請者は母国の知人を頼って高田馬場に集まってくる。シリア難民の支援も大事だけれど、日本にいる難民認定者や申請者もサポートしてほしい」

 民主化組織「ビルマ民主化同盟(LDB)」副議長だったチョーチョーソウさん(52)は、日本がシリア難民を留学生枠で受け入れようとしていることに疑問を抱いている。「日本にとって役立つ人材だけを選別しようとする姿勢が透けて見え、国際的にマイナスでは。全ての難民に教育の場を与える発想に欠けている」。日本政府の難民支援は不十分 と出会った人は口にするのだった。

 多くのインドシナ難民が暮らすのが、神奈川県営「いちょう団地」(横浜、大和両市)。横浜市側の約2000世帯のうち2割以上が外国人住民で、インドシナ3国出身者は254世帯。71年建設のこの団地には、戦後、中国から引き揚げた日本人や、集団移住してきた中国残留孤児が暮らした歴史があり、戦争で翻弄(ほんろう)された人々が暮らす近代史の縮図のような団地だ。

 その暮らしの一端を見ようと10月3、4日に行われた祭りを訪れると、民族衣装を着た住民が日本人に民族舞踊を伝授していた。日本人も「炭坑節」の踊り方を教え、多文化の輪ができた。露店からはスパイスのきいた香りが漂う。

 炭坑節を指導した一人は、ベトナム難民だったグエン・ホアンさん(25)。フィリピンの難民キャンプを経て3歳で来日し、17年間ここで暮らした。就職で団地を出た後も、行事がある度に戻ってくるという。「いちょう団地が僕の故郷なんだ」。難民の中には日本の生活に溶け込み、日本国籍取得を目指す人も多い。

 「日本人住民の8割以上は高齢者世帯だから、若い外国人住民が祭りを盛り上げてくれて助かるよ」。連合自治会長の八木幸雄さん(71)はうれしそうに話す。「県営団地は、官民連携がやりやすい。シリア難民も来るなら協力するだろうね。行政がしっかり支援するのが大前提だけど」。ここではシリア難民受け入れは身近な話題のようだ。

 外国人住民との融和には最初は試行錯誤があった。団地内の有線放送で、ベトナム語などの生活情報を流している小松秋人副会長(76)は「15年前に多言語放送を始めてから団地の雰囲気は変わった。外国人住民は安心し、日本人住民は多文化の中にいる実感を持ち、現実を受け入れるようになった」と話す。
 かつて政治決断で1万人以上の難民を受け入れた日本には、彼らと共生する道はあるはず。シリア難民の受け入れを増やせば解決する問題ではないが、安倍首相の「国際感覚」は国際社会の常識と「ズレ」ているのではないか。

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