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● 風穴広がる「難民鎖国」 (08/09/14朝日新聞)


今までは働けないまま認定審査に2年

 「日本はアジア一、民主的だと思っていた」。東京都内の飲食店で働く40代の男性は大学生だった89年、軍事政権下のミャンマー(ビルマ)を逃れて、日本にやって来た。少数民族出身で反政府運動に参加。短期ビザで日本に入り、飲食店で一日中働いて、家族も持つことができた。
 03年、職場に向かう途中、不法就労で摘発された。そのとき初めて、弁護士から難民認定制度=図=を説明された。法相の特別許可で在留が認められるまで申請してから約2年の歳月がかかった。
 「1年9カ月も施設に入れられ、3人の子と妻を抱えて働くことも禁じられた。娘の給食費用の口座を開こうとして断られ、だれにも信じてもらえない存在だと感じた」
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、紛争や迫害などで国を逃れた難民は、07年末現在で約1140万人。5年ぶりに1千万人を超えた。保護を求めた米国や豪州、欧州などの先進国のうち、日本の難民認定数は07年に41人と際だって少ない。ロシアを除く主要7カ国で千人未満の国は日本だけ。だから「難民鎖国」と呼ばれる。
 認定申請中の境遇も問題視されている。審査期間は平均600日で、その間の就労は原則的に禁止。NPO法人難民支援協会の石川えり事務局長は「送還されるリスクを背負いながらの2年は、あまりにも長い」と指摘する。
 ミャンマーなどの情勢悪化で日本への難民申請者は90年代後半から増え始め、今年は初めて千人を超える可能性がある。難民としては不認定でも、人道的理由で在留特別許可が出る例は増えており、07年は前年より35人多い88人。審査のスピードについても法務省は「6カ月を目指す」と明言。今年はこれまでにないペースで進んでいる。
 政府は7月、他国の難民キャンプから難民を受け入れる「第三国定住」の導入を決めた。早ければ10年度にも第一陣が到着する見込みだ。「難民鎖国」の風穴が広がる。

認定後も「カタカナ名は就職できない」

 リッキー・ティエンさん(32)は20年前、ベトナムから日本へ来た。神奈川県内の小学校で「国へ帰れ」といじめられ、下品な言葉を言わされ、笑い物にされた。高校の成績は上位になり、日本での進学も考えた。だが、20歳のとき、「米国には成功するチャンスがある」と考え、叔父を頼って移住した。半導体大手インテルに就職。今は不動産業を営んでいる。米国オレゴン州の戸建て住宅には、ミニシアターも付いている。
 両親と兄は日本で暮らすが、リッキーさんは日本に戻るつもりはない。「カタカナ名の僕が、日本で成功できるだろうか」と言った。
 その言葉を裏付けるようなUNHCRのインドシナ難民の追跡調査の中間報告が8月末に公表された。「カタカナの名前では就職できないと言われた」(20代女性)、「半年だけの訓練で、どうやって日本語を習得しろというのか」(60代男性)。さまざまな声が寄せられた。
 80年代を中心に1万1千人が来日したインドシナ難民は、日本にとって唯一のまとまった難民受け入れの例だ。ベトナム戦争の際、ボートピープルとして日本にたどり着いた人への対応を国際社会に迫られた末の特例だった。
 政府系の財団が全国3カ所に設置した定住促進のための支援施設に約半年間入所させ、日本語教育や就職をあっせん。しかし、出所後のケアは各センターに数人の相談員がいるだけだった。
 今回発送された調査用紙は3千通。その半分の人たちが住所地に住んでおらず、リッキーさんのように海外に移った人も多いと推測できる。
 UNHCRの追跡調査で浮かび上がった反省点は、第三国定住などで大量の難民が日本へ来るのを前にどのような環境を整えたらいいか、改善に役立てられる予定だ。

外国では自治体に受け入れ義務づけも

 オランダ中部のバーンベルト市は人口約5万の牧草地が広がる静かな街だ。ミャンマーの少数民族カレンのモー・ワーさん(33)は昨年2月、20年以上暮らしたタイの難民キャンプから移住した。
 月に約1200ユーロ(約18万円)の生活費を市から受け取り、夫、2人の息子と公営住宅で暮らす。今は夫と交代で学校に通い、オランダ語を学ぶ日々だ。「言葉が難しく、アジアの食べ物がないのもつらいが、みんな親切。やっと本当の人生を始められる」
 80年代以降、オランダは第三国定住による難民を毎年約500人ずつ受け入れてきた。オランダの特徴は全自治体に人口規模に応じた受け入れを義務づけている点だ。
 バーンベルト市では、難民の家庭ごとに市民が世話役になり、銀行カードの使い方や電車の乗り方など日常生活に必要な知識を教える。フェルベイ副市長は「困ったらすぐ市民が支えてあげられるようなかかわりが必要」と話す。
 ただ、受け入れ人数が増えるに連れ、「外国人が溶け込もうとしない」という不満が社会に広がりつつあるのも現実だ。昨年から永住権付与の条件にオランダ語や社会習慣の試験を課すなど、受け入れ「先進国」でも模索は続く。
 劇的な転換をしたのがオーストラリアだ。7月、難民申請者を収容所に隔離する政策の廃止を決めた。
 保守系のハワード前政権はボートピープルを助けた船の本土入港を拒否するなど、難民に厳しい政策を貫いた。難民申請者の急増で国民が不安を募らせるなか、選挙対策の意図があったとされる。
 しかし、昨年12月に労働党のラッド政権が発足し、国際社会から厳しい批判を浴びてきた政策を転換した。申請者は審査期間中、移民向けの定住促進住宅などで暮らせるようにする方針だ。
 難民支援団体のコン・カラバナギオティディス代表は「大きな進歩」と評価する。だが一方で「今後は、社会が難民を広く受け入れていけるかどうかが問われる」と指摘する。(市川美亜子、伊東和貴、井田香奈子)

【図】どうなる日本の難民受け入れ
【図】どうなる日本の難民受け入れ
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